鈴木裕佑 (すずきゆうすけ) 1942年〜
静岡県浜松市出身
23歳の時、甥の誕生祝いにと1.5M四方の浜松凧を作った。子どもの頃によく凧を自作しては家の周りで揚げたから、素人ながらにも立派な祝い凧ができて喜んでもらえた。その後は仕事の関係で一時遠のいてしまったが、50歳の時に浜北大橋の上流で大きな「ぶか凧」が揚がっているのを見掛け、浜松凧以外でこんなに大きな凧は見たことがないと衝撃を受けて写真を撮らせてもらった。すぐに写真を基にして「ぶか凧」を作って揚げたが上手く揚がらなかった。それから、試行錯誤を繰り返し、10日後になんとか揚げることができた。子どもの頃の心地よい感触と楽しさが蘇った瞬間だった。ぶか凧から響くウナリの爽快な音にも魅力を感じて、ますます夢中になっていった。中山さんと知り合ったのはその頃で、浜北ぶか凧保存会に入会し、作る凧は次々と大きくなり、上手く揚がったときの嬉しさも大きくなっていった。その頃は、河川敷で凧揚げ大会ともなればとても賑やかで、広報誌に載ることも珍しくなかった。
↓1992年5月発行「広報はまきた」から一部を抜粋
大凧の前で記念撮影に応じる裕佑さん(左)と中山さん(右)
その後、天竜川凧愛好会の代表となり、ぶか凧の他にも創作凧を作って揚げるようになり、全国の凧揚げ大会に参加するようになっていった。2021年には、遠州各地の凧揚げ団体を集結した「遠州の凧の会」で会長を務め、記念誌の発行にも編集委員として参画した。
↓凧揚げ大会で挨拶をする裕佑さん
↓富士山を背に凧揚げをする裕佑さん
穏やかな師走の日曜日、富士川凧揚げ大会でのひとコマです。
裕佑さん奥義「釣り竿で微風凧揚げ!」
↓裕佑さん手作りの微風凧
2022年6月に開催された凧の展示会では、裕佑さんが全国各地で収集した凧や自作した創作凧が飾られました。
↓クリックすると大きな画像で見られます
各地の凧揚げ大会に出掛けるようになって、自然と全国の凧を収集するようになった。集めた凧をヒントに創作凧を作っては河川敷で試し揚げをするのが最近の楽しみ。今では自宅に60種類以上の凧がある。まだまだあと10年は作り続けたい。
2020年から天龍川凧の会の会長も務めてきたが、幸いにも下の世代が育ってくれて、会長のバトンを渡すことができた。今後も若い世代を見守っていきたい。